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大阪高等裁判所 昭和54年(う)277号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

(控訴趣意と答弁)

本件控訴の趣意は、被告人佐竹、同本多の弁護人松本武裕、同竹原精太郎、同田中二郎、同笠松義資、同志賀親雄、同豊岡勇、同早崎卓三作成の控訴趣意書(その一、その二)、同補充書及び被告人岩佐の弁護人天野一夫作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、これらに対する答弁は、検察官増田光雄作成の答弁書二通、同訂正補充書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

(被告人佐竹、同本多に関する控訴趣意その一の第二、第一点ないし第四点、被告人岩佐に関する控訴趣意第一点について)

一  争点

各論旨は、多岐にわたるが、要するに、本件三〇〇万円の小切手の賄賂性と被告人らの認識、共謀を争い、これらを認めた原判決の事実誤認をいうものであって、主張の具体的内容の要点は、被告人佐竹、同本多に関しては、(イ)本件ぶどう栽培業者との間の武田ジベラ錠使用に関る損害補償交渉が難航したのは、羽曳野市駒ヶ谷地区の被害農民が過大な要求に固執して強硬な態度を続け、金井一成羽曳野市長にこれを抑える力がなかったからであり、補償交渉が妥結したのは、右地区の被害農民自身が情勢の変化を知って態度を緩和したためである、(ロ)被告人佐竹が、昭和四二年七月二四日ころ、本件補償問題の解決に資するため武田薬品工業株式会社(以下単に武田薬品という。)から三〇〇万円を供与する旨を綿本謙次及び被告人岩佐との間に約束したのは事実であるが、その際には綿本による被害農民に対する説得の謝礼と工作費にあてるため同人に交付する金員と認識しており、その後綿本の意思で羽曳野市民会館建設のため同市商工会に寄付することになったというのでこれを了承して本件三〇〇万円の小切手を綿本に交付させたものである、(ハ)被告人本多は、同年一〇月七日第一食糧事業協同組合古市営業所で綿本、金井らと会って三〇〇万円の小切手を渡そうとするまでは、これを羽曳野市の公共施設に対する寄付金であると思っていたが、その後被告人佐竹と同様羽曳野市商工会に対する同市民会館建設費の寄付金であると了解していた、(ニ)被告人佐竹、同本多は、その相互及び被告人岩佐との間に贈賄の共謀をしたことはない、というのであり、また、被告人岩佐に関しては、同被告人は、本件三〇〇万円の小切手は綿本に対して交付されるものであって、前記駒ヶ谷地区農民説得のための費用や謝礼等であると認識していた、というのである。

そこで調査するのに、右論旨で争われている原判決の認定事実は、その挙示する証拠ことに贈賄者側たる被告人三名と収賄者側たる金井、綿本の捜査段階における各自白によって裏付けられているところ、所論は、これら自白には信用性がなく、論旨に沿う被告人三名の原審公判廷における各供述(以下単に原審供述という。)の方が真実に合致していると主張するのである。

二  争いのない事実経過

まず、被告人らの原審供述と証拠物などの争いのない証拠から、原判決の認定に沿う事実経過をたどると、概ね次のとおりである。

(1)  昭和四二年(以下、月日のみを記すときは、同年の月日をいう。)五月、武田薬品が製造、販売した種なしぶどう栽培用の武田ジベラ錠の使用によりぶどうの発育に異常が起っていることが発見されたところから、全国各地のぶどう栽培農民の間に武田薬品に対する被害補償要求の運動が生じ、大阪府下でも、羽曳野市(駒ヶ谷地区)を中心とし、柏原市及び太子町の二市一町五農協の被害農民が、五月下旬に四回にわたり農民大会を開き、武田薬品の担当者を現地に呼んで補償要求を行うに至った。そして、この大会において、羽曳野市長金井一成、柏原市長早川良祐、太子町長石田専三の三名が、被害農民を代理して武田薬品と具体的な補償交渉にあたることが決せられ、六月初旬には、右三名と武田薬品を代表するジベラ事故対策委員会委員の被告人本多らとの間に、武田薬品が損害補償の担保として関係五農協に総額一億五千万円を預託し、かつ、前年度の一〇アール当り収入を基準として算定した当期の実害を対象として被害農家の要望に副うべく今後とも誠意をもって努める旨の約束がほぼととのい、そのころ右の預託がなされた。ついで、右の約束を文書化したものが右三名のもとに届けられて早川市長と石田町長は調印を終ったが、金井市長のみは、約定書、念書案中の「誠意をもって対処する」という文書を「実被害額を補償する」と訂正するか、羽曳野市の農民に対して補償金の上積みをしない限り、調印に応じられないとしてこれを拒否した。これに対し、武田薬品は、約定書文言の変更は補償の範囲を不明確なものとして紛争の種を残すことになり、羽曳野市農民のみに補償額を上積みすることも府下の他の農民や他県の農民の補償に与える影響が甚大であるところから、右の要求は受け容れられないとし、被告人本多を通じて密かに金井市長と接触して、駒ヶ谷小学校のプール建設その他羽曳野市関係公共施設のために武田薬品が別途二〇〇万円程度を寄付することで妥結を図ろうとしたが、効を奏さなかった。そして、七月一八日から二一日の四日間にわたり羽曳野市農民が武田薬品の大阪本社に坐り込むという事態に立ち至った。

(2)  その直後の七月二四日、武田薬品と仕事上の関係が深く、被告人佐竹とも懇意な被告人岩佐は、羽曳野市の有力者である綿本謙次と会談し、羽曳野市農民の補償問題を早期に解決するために武田薬品から三〇〇万円の工作費を支出するとの案をまとめ、電話で被告人岩佐から武田薬品常務取締役の被告人佐竹に連絡して了承を得た。ついで、七月二七日に二九日の両日、武田薬品の西村伊一常務(ジベラ事故対策委員会副委員長)、被告人佐竹、同本多らは、早川、金井、石田の三市町長と会談し、一億五千万円に一一%を加算した一億六六五〇万円を補償金とすることで正式に交渉を妥結させ、即日仮覚書の調印を了した。続いて八月一日、正式覚書の調印がなされるとともに、右合意の金員が支払われ、本件補償問題は解決した。

(3)  被告人佐竹は、九月に入ってから、被告人本多に対し、被告人岩佐と連絡をとったうえ先に話しのあった三〇〇万円を早急に渡すよう指示し、被告人本多は、その金は先に話しの出ていた羽曳野市の公共施設に対する寄付金であると思い、被告人岩佐と連絡のうえ、一〇月七日、前記古市営業所に額面三〇〇万円の小切手を持参した。そして、被告人本多は、綿本、及び当日綿本に呼ばれて来た金井市長、その秘書山下和郎の同席する場で、綿本と金井に対し、約束の金を持参した旨を告げ、羽曳野市の公共施設に関する使途、目的を明示した寄付金の領収証を求めて右小切手を渡そうとした。しかし、綿本は、「そのような寄付金であれば、市の歳入になり、市議会にかけるという問題も起る。使途、目的も限定されてしまう。武田薬品のプラッシーやポリライスの販売上のリベートとして支出することはできないか。今日は受取れない。」という趣旨の発言をして小切手を受取らず、金井もこの発言を了承するような態度を示したので、被告人本多は小切手をそのまま持帰った。その後、被告人本多は、さらに被告人岩佐と連絡をとり、一一月四日ころ、同人から、羽曳野市民会館建設に対する寄付金という形で綿本が会長をしている羽曳野市商工会を通じて提供することにしてほしいとの希望を聞いたうえ、そのころ自ら寄付金要請書を起案してタイプをさせ、被告人岩佐を通じて綿本に印を押捺してもらった。その後、武田薬品の正式決裁を経て一二月二八日ころ本件小切手が綿本に渡された。

(4)  綿本は、右小切手を羽曳野市商工会の会計には入れず、一二月二九日大和銀行古市支店に自己の名義で右小切手を預金し、翌昭和五三年一月五日五〇万円を払出した。そして、同年七月三一日利息を含む残金合計二五二万七五〇八円を払出して、綿本とし子名義で右支店に定期預金をした。さらに、同年九月上旬ころ、綿本は、被告人岩佐を通じて連絡をとったうえ、武田薬品大阪本社の大村喜平総務部長、山岡健十郎総務課長と会談し、先に武田薬品に渡した綿本名義の寄付願写し、領収書などと引換えに額面三〇〇万円の小切手を武田薬品に預け、翌日、被告人岩佐らに依頼して三〇〇万円の現金を調達してもらって武田薬品側に渡し、寄付願原本の返還を受けた。ついで、同年九月一三日ころ、被告人金井、同岩佐、綿本らは大村総務部長に対し、武田薬品の保管する寄付金関係の帳簿から、寄付先の氏名、摘要、寄付の目的などの記載を抹消するよう強く要請したが、決算済後であるとして拒絶された。

三  所論の検討

以上の事実関係を基礎として、所論が争う被告人ら及び収賄者側の供述調書の信用性につき、順次検討を進めることとする。

(1)  まず、被告人佐竹についてみると、所論は、同被告人の原審供述に依りつつ、本件小切手は綿本に対して供与したものであり、その趣旨は主として同人による農民説得に対する謝礼であったと主張する。しかしながら、右の原審供述は、以下に述べるように、種々の点で極めて不自然であって、とうてい措信することができない。

すなわち、本件小切手の趣旨を客観的に考察してみるのに、もし右原審供述にいうように本件小切手が綿本による農民説得の謝礼であるとすれば、一〇月七日古市営業所で被告人本多が額面三〇〇万円の小切手を綿本に渡そうとした際、前記のように同人が種々の難色を示してその受領を拒む必要はなく、被告人本多の上司たる被告人佐竹の了解のもとに農民を説得した謝礼の趣旨でこれを受領することになっていた旨を説明して受取れば足りたはずである。しかも、それが綿本個人に対する謝礼であるならば、その授受の席に金井市長が加わったのは不自然である。加えて、綿本が農民を説得して補償問題の解決を導いたと認めるべき証拠は、皆無といってよい。そうしてみると、本件小切手は、すくなくとも金井市長に対する関係を含めて交付されたものとみるほかはないのである。

もっとも、被告人佐竹の原審供述によると、七月二四日当時においては、補償問題打開の方途に苦慮し、金井市長の説得力にも疑問を感じていた折であったため、本人としては地元有力者たる綿本による農民説得に期待をかけて被告人岩佐の要求どおり三〇〇万円の謝礼の供与を承諾したのであり、補償交渉が妥結したのはその説得が成功したからだと思うというのであるが、もしそうであるとすれば、その事情を被告人本多に伝えて綿本に対し三〇〇万円の支出をするよう指示すれば足りるのに、被告人岩佐とよく相談してこれを支出するようにと指示し、被告人本多から綿本の方で受取れないとのことで小切手を持ち帰った旨の報告を受けた後も右の事情を同被告人に説明していないのは、まことに不自然である。また、右の会談に関し、被告人佐竹、同本多の原審供述によると、会談の模様の詳細ことに金井市長がそれに加わったことは被告人佐竹に報告されなかったというのであるが、金員授受自体が被告人佐竹の指示によってなされることであり、しかも、その趣旨は場合によっては違法行為に結びつくものであるから、被告人本多としては、上述した意外とも思える会談の模様について被告人佐竹に報告するのが自然でありまた当然と思われるのに、これを報告せず、独断で事をはこんだというのは、納得しがたいことといわなければならない。

このようにして、被告人佐竹の原審供述には幾多の不自然な点が存するのに対し、同被告人の検察官に対する供述調書中の自白はむしろ客観的事情の推移とよく合致して信用性が高いと認められる。すなわち、右自白は、七月二四日ころ、知人の被告人岩佐から電話があり、地元の有力者で金井市長と親しい綿本が問題の解決に尽力するから三〇〇万円程度の金が欲しいといっていると伝えてきたので、綿本が金井市長に働きかけて補償問題を早く解決してくれるものと期待して金の支払を承諾したこと、同月二六日被告人岩佐に会った際、右の三〇〇万円については金井市長も十分了解していて今後は武田薬品に協力するだろうといっていたので、金の大部分は金井市長に渡るものと思ったこと、その翌日の二七日の交渉で金井市長が従前の強硬な態度を撤回したこと、一〇月七日の会談について被告人本多から前記二の(3)のような状況の報告を受けたこと、その後被告人本多から寄付願の文書を示され、その名目で出金したと聞いたが、これは表面上の体裁であって、金井市長が補償交渉を妥結してくれたことに対して贈った賄賂に間違いはないことを具体的かつ詳細に述べており、その内容の方が原審供述よりもはるかによく前記の客観的事態の推移及び収賄者の自供などの関係証拠と照応しているといわざるを得ないのである。また被告人佐竹に関しては、在宅で取調べがなされたものであって、その自白について信用性をそこなうような状況を何ら見出し得ないことも、指摘しておきたい。

なお、所論は、本件補償交渉が難航した理由と交渉妥結の経緯について、羽曳野市の被害農民の態度に原因を求めるべきであると説くが、この点の原判決の認定は必ずしも所論と矛盾するものではない。すなわち、原判決は、金井市長の強硬な態度と羽曳野市農民の態度との関係については言及しておらず、また、交渉妥結の主因についても触れるところがないのである。のみならず、所論のとおり羽曳野市の被害農民の態度が本件補償交渉の推移に重大な影響を及ぼしていたであろうことは、関係証拠上からも推認するに難くないが、同時に、金井市長の強硬な態度が交渉の妥結に大きな障害をなしていたこともまた明らかであり、すくなくとも被告人佐竹が三〇〇万円の支出を承諾した七月二四日ころの時点において武田薬品側が金井市長の態度に憂慮し、所論が力説する農民の態度の急変に気付いていなかったことも、明らかであり、所論自体が主張するところでもある。してみれば、被告人佐竹を含む武田薬品の側で、金井市長の態度の軟化を期待して原判決認定のような金員贈与に応じたのも、自然というべく、したがって、この点の原判示には所論のような事実誤認の廉は見出し難い。

(2)  次に、被告人本多についてみると、所論は、同被告人の原審供述に依拠しつつ、終始羽曳野市の公共施設に関する寄付金のつもりで本件小切手の交付に関与したものである、と主張しているが、上述の一〇月七日の会談の際、前記二の(3)のような綿本の発言を聞いた被告人本多としては、本件三〇〇万円が右の公共施設に対する寄付ではなく、金井市長を含む個人に対する裏金的性格のものであることを直ちに察知したと解するのが自然であって、その後も公共施設に対する寄付金であると信じていたものとはとうてい解することができない。また、右会談の模様について詳細は被告人佐竹に報告しなかった旨の右原審供述が不自然であることも、すでに示したとおりである。

これに対し、被告人本多の検察官に対する供述調書によると、同被告人が、一〇月七日、古市営業所で、金井市長や綿本の前で三〇〇万円の小切手を出し、「公共的な施設に使われる使途目的を明らかにした領収書を戴きたい。」というと、綿本が「そのような金の受取り方をして市の歳入に繰り入れてしまうのか。そうすると武田が寄付したことが明らかになるし、何に使ってもよいというようなこともできない。そのような金であれば今日は受取れない。プラッシーやいの一番のリベートの形で第一食糧か大武商事を通じて何とかならんのか。」といったので、初めて公共的に使われる金ではなくて金井市長などが私的に使う金を要求していることが判ったこと、帰社後佐竹常務に報告すると、佐竹常務は、「そのような話なら岩佐と相談して相手方の要求に応ずるほかはないから、ちゃんとしておくように。」というので、それに副って処理することとし、被告人岩佐に電話で「会社としては何かよい名目で出したいので、市長さんなり綿本さんなりに何かよい名目はないか聞いてくれませんか。」と依頼すると、岩佐は「市長か綿本さんに聞いておきます。」といい、その後の一一月四日ころ、岩佐から「金井市長に渡す三〇〇万円は市民会館建設に対する寄付ということにしてくれませんか。」といってきたので、それに応じて以後の手続をしたことを具体的、詳細かつ自然に述べており、右自白の信用性に対して疑念をさしはさむべき事情は見当らない。

(3)  最後に、被告人岩佐についてみると、所論は、同被告人の原審供述を拠りどころとしつつ、本件小切手の受取人は綿本であって、その趣旨は羽曳野市農民に対する説得の費用や謝礼であったと本人は信じていたというのであるが、綿本が実際に農民説得にあたったことの証拠はなく、その具体的な予定があったとも認められないのに、同人がそのような行動に出たと被告人岩佐が信じ込んでいたというのはまことに不自然であるし、本件三〇〇万円の授受に関して金井市長が登場していることとも矛盾する。

これに対し、被告人岩佐の検察官に対する供述調書によると、七月中旬か下旬に綿本に呼ばれて古市営業所に行くと、綿本は、「補償交渉を解決したいのなら、市長も欲しがっとるから金を出すように武田にいってくれ。」というので、その場で被告人佐竹に電話をし、「綿本という有力者がおり、市長を抑えてくれる実力者で、三〇〇万円欲しいというので出していただけますか。」と尋ねると、佐竹はこれを承知したこと、その後、一一月下旬か一二月上旬ころ、被告人本多から「武田側としては何かよい名目で三〇〇万円を出したいので、綿本さん方によい名目があるかどうか聞いてくれ。」といってきたので、綿本に話し、結局、市民会館建設のための商工会への寄付にしたこと、実際には、金井市長が交渉を妥結してくれたことに対するお礼であることは判っていたことを自白しているので、その内容は前記の客観的事態の推移及び被告人佐竹、同本多の検察官に対する供述調書の内容とも相応しており、十分にこれを信用することができる。所論は、被告人岩佐の右自白は検察官の厳しい取調べに屈した結果であって、虚偽であると強調してその理由をるる述べているが、とうていその主張は採用することができないのである。

(4)  さらに、本件においては、冒頭に述べたとおり、収賄者側たる金井、綿本の検察官に対する供述調書中の自供など原判示の認定に沿う証拠が存在し、同人らが本件小切手を金井に対する賄賂と認識していたことが明らかである点も、もとより被告人らによる本件小切手の趣旨についての認識を判断するうえで重要ではあるが、被告人らの供述自体についてすでに検討したところにより論旨の理由のないことが明らかである以上、右の点については詳述をしない。

四  結論的判断

原判決には、所論のような事実誤認の廉は認められず、論旨はいずれも理由がない。

(被告人佐竹、同本多に関する控訴趣意その二の第三第一点ないし第三点、被告人岩佐に関する控訴趣意第二点について)

一  争点

論旨は、いずれも法令適用の誤の主張であって、金井市長が行った本件補償交渉は市長としての職務とはいえないから、これに関して賄賂罪が成立する余地はない、というのである。

二  当裁判所の判断

そこで検討するのに、市長の行為が刑法一九七条一項にいう職務にあたるというためには、それが市長の一般的、抽象的な職務権限の範囲内にあたり、具体的にその権限の行使としてなされたものであることを要し、かつ、それをもって足りることが、明らかである。

(1)  まず、市長の職務権限に関する法令の建前をみると、地方自治法一四八条一項は、「普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体の事務及び法律又はこれに基づく政令によりその権限に属する国、他の地方公共団体その他公共団体の事務を管理し及びこれを執行する」と定め、同法一四九条は、普通地方公共団体の長が担任すべき事務について、「概ね左に掲げる事務を担任する」と規定したうえ、一号から八号まで具体的な事務を列挙するとともに、九号で「前各号に定めるものを除く外、普通地方公共団体の事務を執行すること」という概括的事項を挙げている。すなわち、普通地方公共団体の長たる市長の一般的職務権限は、広範かつ概括的であって、普通地方公共団体の他の機関例えば議会の議決権限が同法九六条一項において制限列挙されているのとは趣を異にしているのである。したがって、市長は、市の事務の執行と認められるものについては、法令の規定等により他の機関の権限に属せしめられているなど特別の事情がない限り、これを行う法令上の一般的権限を有しているといわなければならない。

(2)  次に、本件における市長の一般的職務権限の点をみると、普通地方団体の事務を例示した地方自治法二条三項の中には、「発明改良又は特産物等の保護奨励その他産業の振興に関する事務を行うこと」(一三号)、「住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」(一号)が掲げられている。そして、右の特産物の保護奨励、産業の振興及びこれらに関連する住民の福祉の保持増進を目的とする事務は、現行法令上、市にも当然に認められているところである。それ故、市長は、上記の概括的、一般的な職務権限規定を通して、右の事務を執行することができるのである。他方、右の事務の中に、特産物の生産業者に対する資金授助・技術指導、共同施設の設置管理などのほか、異常原因による特産物の生産減少に際しての原因調査、授助や被害補償のための人的、物的な便宜の提供が含まれることも、当然の事理である。

(3)  そこで、本件において金井羽曳野市長のとった行為について証拠に基づき考察を進めると、同市長は、同市産業課を通じて同市の特産物たるぶどうに関する薬害を知り、同市住民に及ぼす影響が甚大であると考え、前記のとおり、被害農民の大会に出席して関係市町長と同様武田薬品に対する補償交渉の委任を受けたうえ、被害補償の最終覚書に市長の公印を押捺して交渉を妥結させ、その間同市秘書課を通じて武田薬品に対し公文書の形式をとった文書を発送し、交渉のための本人及び随行職員の出張を公務出張として取扱い、同市産業課長を通じて市議会民生産業常任委員会に本件交渉の経過を報告させるなど、終始市長たる立場で行動したものであり、本人もその意思であったことが明らかである。

(4)  そうしてみると、右の金井市長の行った、武田薬品との被害補償交渉行為は、前記の特産物の保護奨励、産業の振興及び住民の福祉の保持増進という市長の一般的職務権限内の行為であり、かつ、具体的にもその職務権限の行使としてなされたものと認めるのが相当である。

(5)  所論は、被害農民の委任を受け、その代理人として補償交渉にあたる行為のごときは、純然たる民事上の行為であって、市長の職務行為とは何の関係もないと主張するが、市長の職務行為と私人からの委任契約に基づく私法的行為とが併行することはすこしも矛盾ではなく、そのことによって職務行為性が失われると解すべき根拠は見出し難い(地方自治法二条三項一〇号に基づく労働争議の調整仲裁を参照)。

結局、論旨はいずれも理由がない。

(被告人佐竹、同本多に関する控訴趣意その一の第二第五点、その二の第三第四点について)

一  争点

論旨は、事実誤認の主張であって、かりに金井市長による本件補償交渉が市長としての職務にあたるとしても、被告人佐竹、同本多にはその認識がなかった、というのである。

二  当裁判所の判断

関係証拠によると、被告人佐竹、同本多は、金井市長がとった原判示の行動について、事実の面では認識していたのであるから、かりにその行動についての法的な意味を理解していなかったとしても、贈賄罪の故意があることはいうまでもない。論旨は、いずれも理由がない。

(結論)

刑事訴訟法三九六条により、本件各控訴を棄却する。

(裁判長裁判官 瓦谷末雄 裁判官 香城敏麿 鈴木正義)

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